施設に
込められた想い
INTERVIEW
町の未来を想う多くの人たちが、
知恵とアイデアを持ち寄り、
この場所は生まれました。
想いをかたちに、この水辺から。
1. 観光・デザイン
人が集まり、新しいつながりが
生まれる場づくりについて聞きました。
一般財団法人
丸森町観光物産振興公社
理事長
丸森町の観光のシンボルとして長く航行してきた「阿武隈ライン舟下り」は、東北第二の大河「阿武隈川」を使用した宮城県内唯一の舟下りです。
古くから物資を運ぶ輸送航路として舟運の歴史を刻んできた阿武隈川で、60有余年の間、町内の皆様はもとより、全国各地より来町頂いた皆様に、春夏秋冬の季節ごとに移り替わる風景と、心を穏やかにしてくれる船旅を提供してきました。今回、心機一転、舟乗り場を【まるもりみずべパーク】に移転致します。
した。今回、心機一転、舟乗り場を【まるもりみずべパーク】に移転致します。「ここに来てよかった!」「また来てみたい!」と感じていただけるみずべパークを目指します。
また、パーク内では物産品販売もあります。地場産品や地元食材で製造した日本酒、ゆずポン酢しょう油、自家製梅干し、工芸品等、この場所に来ると丸森産の様々な食品とお土産品を知っていただき手に入るようにいたします。来場者の皆さんが時間を忘れてしまいそうな場所となる事は間違いありません。丸森町に来て実際に見て、食べて、触って、そんな感動の時間を楽しんでみてはいかがでしょうか。
その他、気軽にお立ち寄りいただき、町の情報がいち早く入手出来る観光案内所や、ちょっと旅行してみたいな~と思った時には、気軽にご相談いただける旅行斡旋企画やチケット手配など、さまざまなご相談事にスタッフがしっかり対応させていただきます。
是非、お立ち寄りいただき素敵なお時間をお過ごしください。お待ちしております。
株式会社 伊具緑化/MARUMORI-SAUNA株式会社
代表取締役
皆さま、こんにちは。丸森町で伊具緑化およびMARUMORI-SAUNAを運営しております、阿部秀一です。
この度、水辺の新たな拠点となる「まるもりみずべパーク」の指定管理者として、運営を担わせていただくこととなりました。令和元年の東日本台風では、私自身も甚大な被害を受け、自然の脅威と恐ろしさを身をもって経験しました。しかし同時に、この丸森の豊かな自然こそが私たちの暮らしを支え、多くの人を惹きつける
が私たちの暮らしを支え、多くの人を惹きつける魅力の源泉であることも深く理解しています。これまで私は、本業である緑化事業・公園管理事業、自然と一体になって心身を整えるサウナ事業を通じて、丸森の魅力を発信し続けてまいりました。
今回、まるもりみずべパークの運営において私が最も大切にしたいテーマが、「水辺から生まれる新たな交流」です。
かつて阿武隈川の舟運で栄えた丸森町において、川は人々の暮らしと文化の中心でした。まるもりみずべパークは、そんな歴史ある水辺の空間に、再び多様な人々が集い、交わるための重要な拠点となります。
町外から訪れる皆さまには、丸森の雄大な自然と水辺の心地よさを肌で感じていただけるような、特別な体験を提供していきたいと考えています。また、地域の方々にとっても、日常的に水辺に親しみ、世代を超えて笑顔で語り合えるような、開かれた交流の場を創出していきたいと思っています。
私たちが経験した水害の記憶を風化させることなく、防災への意識をしっかりと持ちながらも、水辺の本来の美しさと楽しさを次世代へ伝えていく。それが、被災を乗り越え、この地で事業を営む私たちの使命だと感じています。
まるもりみずべパークが、丸森町の新たな活力を生み出すシンボルとなるよう、誠心誠意取り組んでまいります。新しく生まれ変わる水辺の空間へ、皆さまぜひお越しください。心よりお待ちしております。魅力の源泉であることも深く理解しています。これまで私は、本業である緑化事業・公園管理事業、自然と一体になって心身を整えるサウナ事業を通じて、丸森の魅力を発信し続けてまいりました。
今回、まるもりみずべパークの運営において私が最も大切にしたいテーマが、「水辺から生まれる新たな交流」です。
かつて阿武隈川の舟運で栄えた丸森町において、川は人々の暮らしと文化の中心でした。まるもりみずべパークは、そんな歴史ある水辺の空間に、再び多様な人々が集い、交わるための重要な拠点となります。
町外から訪れる皆さまには、丸森の雄大な自然と水辺の心地よさを肌で感じていただけるような、特別な体験を提供していきたいと考えています。また、地域の方々にとっても、日常的に水辺に親しみ、世代を超えて笑顔で語り合えるような、開かれた交流の場を創出していきたいと思っています。
私たちが経験した水害の記憶を風化させることなく、防災への意識をしっかりと持ちながらも、水辺の本来の美しさと楽しさを次世代へ伝えていく。それが、被災を乗り越え、この地で事業を営む私たちの使命だと感じています。
まるもりみずべパークが、丸森町の新たな活力を生み出すシンボルとなるよう、誠心誠意取り組んでまいります。新しく生まれ変わる水辺の空間へ、皆さまぜひお越しください。心よりお待ちしております。
丸森町商工会
会長
「まるもりみずべパーク」は、建設が進む様子を見ながら町民や地域事業者の皆さんとともに完成を心待ちにしている施設です。令和元年東日本台風によって甚大な被害を受けた丸森町では、多くの方々の努力によって復旧・復興が進められてきました。その歩みの中でこの施設の整備は、新たな交流とにぎわいを生み出す拠点として、大きな期待を寄せています。商工会としても、町内外から多くの人がパークを訪れ、その流れが町内の飲食店や小売店、宿泊施設、直売所、観光施設など
人がパークを訪れ、その流れが町内の飲食店や小売店、宿泊施設、直売所、観光施設などへ広がることを期待しています。丸森町ならではの食や特産品、豊かな自然、歴史や文化に触れていただくことで、地域全体の活性化につながるきっかけになればと考えています。そのためにもこの公園を「訪れて終わり」の場所ではなく、町内を巡り、地域の魅力を体感していただく玄関口として育てていくことが大切だと考えます。
そのためには、行政や関係団体、地域事業者が連携し、それぞれの強みを生かした取り組みを進めていくことが欠かせません。商工会としても、地域事業者のネットワークを生かしながら、イベントや観光、特産品のPRなどを通じて、公園と地域を結び付ける役割を果たしていきたいと考えています。
「まるもりみずべパーク」が、復興の歩みを次の世代へつなぎ、多くの人が集い、交流し、新たな活力が生まれる場所となることを心から期待しています。そして、この施設をきっかけに丸森町の魅力がさらに広く伝わり、「元気な丸森町」を発信するシンボルとなることを願っています。へ広がることを期待しています。丸森町ならではの食や特産品、豊かな自然、歴史や文化に触れていただくことで、地域全体の活性化につながるきっかけになればと考えています。そのためにもこの公園を「訪れて終わり」の場所ではなく、町内を巡り、地域の魅力を体感していただく玄関口として育てていくことが大切だと考えます。
そのためには、行政や関係団体、地域事業者が連携し、それぞれの強みを生かした取り組みを進めていくことが欠かせません。商工会としても、地域事業者のネットワークを生かしながら、イベントや観光、特産品のPRなどを通じて、公園と地域を結び付ける役割を果たしていきたいと考えています。
「まるもりみずべパーク」が、復興の歩みを次の世代へつなぎ、多くの人が集い、交流し、新たな活力が生まれる場所となることを心から期待しています。そして、この施設をきっかけに丸森町の魅力がさらに広く伝わり、「元気な丸森町」を発信するシンボルとなることを願っています。
2. 防災機能
“いつも”と“もしも”をつなぐ
備えについて聞きました。
災害ボランティア
防災士
令和元年東日本台風(台風19号)の襲来によって、町全体が甚大な被害を受けました。
あの夜、一本のSOSの電話が入りました。友人宅に濁流が流れ込み、命の危険が迫っているという知らせでした。これまで体験したことのない状況。その中で家族の命を守るにはどう行動すべきか、何を選択すれば生き延びられるのか。命の危機に直面した時、災害は私たちを待ってはくれません。
ってはくれません。夜が明け、友人の無事を知った時は安堵しましたが、町は一面泥に覆われ、見慣れた景色は色を失っていました。自宅でも裏山の斜面が崩れ、土砂が道路を塞いでいました。一人でスコップを握っても歯が立たず、途方に暮れていた私を救ってくれたのが、重機を使う技術系災害ボランティアの支援でした。重機の力で土砂はみるみる取り除かれ、再び道がつながっていく光景は、私に大きな希望を与えてくれました。
その出会いをきっかけに、私もボランティアセンターへ通うようになりました。そこには全国から駆け付けてくれたボランティアの方々がいました。縁も所縁もない我が町のために汗を流し、一緒に寄り添ってくれる姿に沈んでいた心が救われました。
この経験を通して次に備えるよう重機やチェーンソーの使い方を学び、防災士の資格も取得しました。また町の地形や災害の歴史を調べ、丸森町は崩れやすい土質(真砂土)であることや、過去の水害を忘れないよう水害で亡くなった人を記した石碑があることを知りました。災害は決して過去の出来事ではありません。その記憶を風化させず、次の世代へつないでいくことが、私たちの使命だと思っています。
このまるもりみずべパークが、災害を知り、防災を学び、地域を知り、生きる力を育む場所となることを願っています。地震や台風、大雨などの災害は、いつ起こるか分かりません。しかし、災害について知り、日頃から準備しておけば、落ち着いて行動できるようになります。防災を学ぶことは、自分や大切な人の命を守ることです。そして、いざというときはともに支え合い、ともに生きていける町を、まるもりみずべパークを通じて皆さんと学んでいけたらと思います。夜が明け、友人の無事を知った時は安堵しましたが、町は一面泥に覆われ、見慣れた景色は色を失っていました。自宅でも裏山の斜面が崩れ、土砂が道路を塞いでいました。一人でスコップを握っても歯が立たず、途方に暮れていた私を救ってくれたのが、重機を使う技術系災害ボランティアの支援でした。重機の力で土砂はみるみる取り除かれ、再び道がつながっていく光景は、私に大きな希望を与えてくれました。
その出会いをきっかけに、私もボランティアセンターへ通うようになりました。そこには全国から駆け付けてくれたボランティアの方々がいました。縁も所縁もない我が町のために汗を流し、一緒に寄り添ってくれる姿に沈んでいた心が救われました。
この経験を通して次に備えるよう重機やチェーンソーの使い方を学び、防災士の資格も取得しました。また町の地形や災害の歴史を調べ、丸森町は崩れやすい土質(真砂土)であることや、過去の水害を忘れないよう水害で亡くなった人を記した石碑があることを知りました。災害は決して過去の出来事ではありません。その記憶を風化させず、次の世代へつないでいくことが、私たちの使命だと思っています。
まるもりみずべパークが、災害を知り、防災を学び、地域を知り、生きる力を育む場所となることを願っています。地震や台風、大雨などの災害は、いつ起こるか分かりません。しかし、災害について知り、日頃から準備しておけば、落ち着いて行動できるようになります。防災を学ぶことは、自分や大切な人の命を守ることです。そして、いざというときはともに支え合い、ともに生きていける町を、まるもりみずべパークを通じて皆さんと学んでいけたらと思います。
3. 地域産業・農業
丸森の自然や水辺の魅力を活かす
考えについて聞きました。
有限会社半澤牧場
代表取締役
私たちの住んでいる、また、酪農を営んでいるこの丸森町は、県内でも有数の酪農が盛んな地域です。なぜか?
この丸森町は古くは養蚕の盛んな地域でした。明治時代から昭和初期までは、国の近代化を支える最大の輸出品であり外貨を稼ぐ重要品目でもありました。昭和40年代以降、安い生糸の輸入(中国)やナイロンやポリエステルなどの新しい繊維が広がり、養蚕農家が減っていき、蚕の餌となる桑畑も別の作物を作るようにな
き、蚕の餌となる桑畑も別の作物を作るようになっていきました。そんな中、丸森町では昭和20年代から、養蚕から酪農への業態変更を盛んに行われ、多い時には町内200戸の酪農家(現在は40戸)がおり、桑畑を牧草などの牛用のえさを作り生乳を出荷するようになりました。その桑畑や牧草を作っていた圃場の多くは阿武隈川の河川敷近隣に多く存在しています。大きな河川だけに肥沃な土壌が上流から滞積しておったり、十分な規模の堤防が整備していることにより広大な広さの堤内地に牧草を作ることによって丸森の酪農の発展がありました。たびたび洪水で被害を受けることもありますが、牛の餌になる牧草を作り続ける大事な農地となっております。私たちは、この川の恩恵を受けながら、牛乳を生産しております。
令和元年東日本台風は、前記した洪水のレベルではありませんでした。私たちの牛舎も水没した場所もあり、町内の酪農仲間のところでは道路が寸断され、生乳を廃棄せざるを得ない状況も続きました。幸い私のところは、地下水を利用していましたし、電気も来ていましたので、出荷は続けられました。上水施設が被害を受けたため、水道からの水が出ず、水没した地域は泥を洗い流す水も不足していました。2トンの水タンクに水を汲み毎日その地域に運んだのは、記憶に新しいところです。その際に災害に備えるという考え方になったのはいうまでもありません。
自助、共助、公助
できることを常に意識確認しながら、いつ来るかわからない災害に備えるのは重要なことであり、しいては、命を守る、家畜を守る、生活を守ることに繋がるのかなと。
あそこに旗がある
集いが備える意識を高める
備える意識を持とうっていきました。そんな中、丸森町では昭和20年代から、養蚕から酪農への業態変更を盛んに行われ、多い時には町内200戸の酪農家(現在は40戸)がおり、桑畑を牧草などの牛用のえさを作り生乳を出荷するようになりました。その桑畑や牧草を作っていた圃場の多くは阿武隈川の河川敷近隣に多く存在しています。大きな河川だけに肥沃な土壌が上流から滞積しておったり、十分な規模の堤防が整備していることにより広大な広さの堤内地に牧草を作ることによって丸森の酪農の発展がありました。たびたび洪水で被害を受けることもありますが、牛の餌になる牧草を作り続ける大事な農地となっております。私たちは、この川の恩恵を受けながら、牛乳を生産しております。
令和元年東日本台風は、前記した洪水のレベルではありませんでした。私たちの牛舎も水没した場所もあり、町内の酪農仲間のところでは道路が寸断され、生乳を廃棄せざるを得ない状況も続きました。幸い私のところは、地下水を利用していましたし、電気も来ていましたので、出荷は続けられました。上水施設が被害を受けたため、水道からの水が出ず、水没した地域は泥を洗い流す水も不足していました。2トンの水タンクに水を汲み毎日その地域に運んだのは、記憶に新しいところです。その際に災害に備えるという考え方になったのはいうまでもありません。
自助、共助、公助
できることを常に意識確認しながら、いつ来るかわからない災害に備えるのは重要なことであり、しいては、命を守る、家畜を守る、生活を守ることに繋がるのかなと。
あそこに旗がある
集いが備える意識を高める
備える意識を持とう